2023年11月3日、西福寺(大阪府豊中市小曽根)で一般公開された伊藤若冲の絵を見てきました。
今回は家内のお誘いで行くことになったのですが、私は今まで伊藤若冲を全く知らなかったので、伊藤若冲について(どんな人?なぜ人気?作品は?)等について調べてみました。
伊藤若冲とは?
伊藤若冲(1716-1800)は、”鶏の画家”の異名を持つ江戸時代の画家です。国内で伊藤若冲展、あるいは伊藤若冲の作品を出品した展覧会が開催されると、たちまち評判を呼ぶほどですが、実は人気が急上昇したのは平成になってからです。
久保田米僊「伊藤若冲像」一幅 絹本着色 明治18(1885)年 55.0×34.9cm 相国寺
伊藤若冲はどんな人?[生涯]
84歳で亡くなるまで多くの作品を精力的に描き続けた伊藤若冲。
「奇想の画家」「奇才」と称されています。
生誕から隠居まで
京都の中心地にある錦市場の青物問屋「升屋」の長男として生まれる。
23歳で家業を継ぐ。
絵の世界にばかり興味を示していたため、40歳で弟に家業を引き継ぎ、自身は隠居する。
隠居後は、お金持ちの家で育った人らしく、高価な材料を惜しみなく投入し、さらに時間もたっぷりかけて現代までに残るすばらしい作品を制作。
絵の技術習得エピソード
伊藤若冲は、10代半ばで狩野派の絵師・大岡春卜(おおおかしゅんぼく)に弟子入りしたとされていますが馴染めず、中国の宋元画(そうげんが)の模写や身の回りの動植物を写生して技術を習得していました。
42歳~50歳
隠居後の1757年(42歳)頃から日本美術史に残る傑作「動植綵絵」の制作が始まります。
50歳の頃完成した「動植綵絵」の一部を相国寺に寄進したことで、若冲の名が一気に世間に知れ渡り、人気絵師となります。
50~60代
50~60代の作品は多くはありません。
その頃の伊藤若冲は、地元である錦市場にて町年寄という要職についていた為、制作に時間が取れなかった為でと考えられます。
72歳~
1788年(72歳)、若冲は天明の大火によって自宅を消失し、大阪へ移り住む。
70代後半からは石峯寺に隠棲、弟からの支援も絶たれていたので、絵一枚を米一斗と交換するという、食べる為に絵を描く生活を送る。
晩年は、金地に描かれた「仙人掌群鶏図」などの大作を手掛ける。
没する
1800年、病により息を引き取る。
生涯独身で、ただひたすら絵画に打ち込んだ84年の人生だった。
伊藤若冲はなぜ人気?
伊藤若冲は今、人気ですが、実は半世紀前までは歴史に埋もれていた画家でした。
「奇想の系譜」
伊藤若冲の人気のきっかけは、美術史家の辻惟雄氏が半世紀前(1970年/昭和45年)に出版した「奇想の系譜」です。
「奇想の系譜」では、当時ほとんど日本美術史の研究から忘れられていた江戸時代の画家6人、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳を、一般読者向けに紹介しています。
伊藤若冲の人気が急上昇した理由
とは言え、疑問なのは伊藤若冲の人気が急上昇したのは平成にはいってから。
本の出版から人気急上昇までタイムラグがあります。
これは何故でしょうか?
2000年(平成12年)に京都国立博物館で大規模な回顧展「伊藤若冲展」が開催されました。。
これをきっかけに伊藤若冲の作品に触れた方から人気に火が付いたようです。
「奇想の系譜」を機に伊藤若冲に注目が集まり、伊藤若冲の研究が活発になったことで「伊藤若冲展」の開催に至ったと考えらます。
特別展覧会の図録は本として出版されているようです。
伊藤若冲の作品
伊藤若冲の作品としては、全30幅にも及ぶやモザイク画のような「鳥獣花木図屏風」などが有名です。
伊藤若冲の何がすごい?
伊藤若冲の凄さは人間技とは思えない超絶技法にあります。
そして、若冲は、絵を独学で学び、オリジナル技法も開発ししています。
若冲が開発した技法のひとつが、「升目描き」。
これは9ミリ四方のマス目をキャンバスに書き込み、その1枚1枚をタイルのように色を付ける方法です。これはまさに現在で言うところのドット絵です。
「樹花鳥獣図屏風」は、この技法を使って制作されました。
伊藤若冲の作品の特徴は?
伊藤若冲の作品は、描く絵、花鳥画はものすごく写実的で細かい描写がリアルなのが特徴です。
伊藤若冲が鶏を描くのはなぜ?
伊藤若冲は、絵画の技術習得において、以下の変遷をたどっている。
②中国宋の時代の中国古画を模写⇒疑問を感じる
③日常の事物を描き始める
この時、自宅の庭に数十羽の鶏を飼い、その生態を徹底的な観察と写生を行い、さらには花鳥・草木・魚介や昆虫をその対象とした。
その”鶏の画家”若冲の集大成とされるのが、西福時所蔵の「仙人掌群鶏図(読み方:さぼてんぐんけいず)」である。
伊藤若冲の代表的な作品
現在、判明している伊藤若冲の作品は何点あります。
伊藤若冲の代表的な作品を一部ご紹介致します。
「樹花鳥獣図屏風」
【「樹花鳥獣図屏風」右隻】静岡県立美術館所蔵
【「樹花鳥獣図屏風」左隻】静岡県立美術館所蔵
伊藤若冲の代表的な作品の一つ。
この作品は、方眼の桝目を埋めていく「桝目描(ますめがき)」と呼ばれる技法を駆使している。
桝目の数は一隻およそ四万三千個もあり、気の遠くなるような緻密な作業を何度もくり返して出来上がった大作。
「動植綵絵」
【「動植綵絵」の一部】宮内庁三の丸尚蔵館所蔵
30幅の動植画と、同じく30幅の釈迦三尊像からなる細密画。
仙人掌群鶏図
【左右から3枚ずつ右隻・左隻】西福寺所蔵(大阪府豊中市)
西福寺の襖絵である。
ニワトリだけでなくサボテン(仙人掌)が描かれている。
京都の自宅が天明の大火によって消失した若冲は大阪へ移り住んだ。
この時、若冲を支援した一人が薬問屋を営む吉野五運(吉野寛斎と言う説もあり)。
西福寺の有力な檀家である吉野五運が若冲に西福寺の襖絵製作の依頼をしたのではないかと考えられている。
伊藤若冲の画集等の本
伊藤若冲作品集
江戸時代の絵師・伊藤若冲の魅力を伝える本格画集。特に「動植綵絵」は、細部まで鑑賞できるよう拡大して掲載。
伊藤若冲大全
江戸時代の画家・伊藤若冲の、いま望みうる最大にして最高の決定版画集。
狩野 博幸 (監修), 京都国立博物館 (編集)
若冲画譜 (近代図案コレクション)
若冲の、京都・信行寺の格天井に円相形式で描かれた花の図などを明治時代にこの出版社が出版したものの復刻版。有名な動植綵絵は含まれていません。
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